完璧主義(英語ではperfectionismと言います)あなたはこの言葉を聞いてどう思いますか?
「きちんとしている」「職人気質」「良い仕事をしてくれそう」そんな良いイメージがある人も多いのでは?
私も昔はずっとそう思っていましたが、ある時ふと、完璧主義と継続の両立って難しいのでは?と思い至ったのです。
その昔、超のつく完璧主義者だった私ですが、だからこそゆえ英語学習を始めても毎回三日坊主で終わっていました。
綿密なスケジュールを立て、それに沿うべき。単語は一ページ覚えきらないと次に進むべきではない。
きっちとスケジュールに沿って学習が進まなくなったらすぐに止めてしまっていましたし、単語帳は全然進まないので楽しくなくてやめてしまっていました。
英語を学習する目的は何かというと、たいていの方が「英語が話せるようになりたいから」とおっしゃると思います。
断言しますが、話せるようになるための一番大切な要素は、長期間にわたり学習を継続できることに他なりません。
英語は短期間詰め込みで行う暗記テスト的なものではなく、長い時間をかけて脳と体に浸み込ませていくものだからです。
確かにきっちりと学習するって気持ち良いものです。「ここまでしっかり覚えた!」「今日は二時間も勉強した」「こんなに分かりやすくきれいなノートが作れた」などなど、その瞬間の気持ちは高揚すると思います。
そのきっちりをずっと継続できるのならそれに越したことはないのですが、人間はモチベーションや余力がなくなるとクオリティの高いことを持続することはできないものです。
「今自分が気持ち良くなることをしたいのか」
それとも「英語を話せるようになりたいのか」
究極的にはこの二つを天秤にかけて欲しいと思います。
そうすると自ずと「今は70%の満足度でも良いから長く続けて英語が話せる自分に近づく」方が良いと思いませんか?
70%の正解率で次のページに行ったり、一日五分だけ継続するのは、完璧主義の方にとっては気持ち悪く感じるかもしれません。
でも「じゃあ完璧にやらなくて起こりえるworst case senairo(最悪の事態)は何?」と聞かれて浮かびますか?
私は浮かびませんでした。せいぜい「自分が気持ち悪く感じる」ということくらいで、結局いい加減でも長く続けた方がいいよねという結果に落ち着きました。
足元だけを見ていると遠くが見えなくなります。
目標は「英語が話せるようになること」なはずです。
そうであれば、いい加減でもいいから長く続けるほうが、英語が話せるという目的に近づきますね。
いい加減は悪ではありません。
『戦略的いい加減』で長期的に気楽に学習を進められるスキルを身に付けていきましょう!
アメリカの花屋さんでフローリストの仕事をしていた時、時間がかかりすぎている私にオーナーが一言。
“Hiromi, it’s not a piece of art. Don’t take too much time!”
その時はムッとしましたが、今ならその理由が分かります。私は一つの作品の完成度にばかり気をとられていて全体が見えていなかったのです。
いつも最終目標を意識しながら行動したいですね!